hirari -6ページ目

繋がっていくもの

母の誕生日にメールをして、
その返事がまたメールできて、
それを読んだら、
「私は正しかったんだ」
と泣きたいくらいの気持ちで思った。



人はいつも愛されていなくてはいけない。
父と母が思い切りの愛情で育ててくれた私は、
愛する人を愛すことで、
その愛情に報いるのだと思った。
そして私の愛する人も、またそうやって
多くの愛情に包まれて生きてきた。

私の愛は、私の父と母、
そして、愛する人の父と母に繋がっていくものでなければいけないのだ。
その人を愛せる喜びを
しっかり抱きしめなくてはいけないのだ、
と思った。

光の道を歩こう。
自転車を止めた高架下。
深く深く思った。

『乳と卵』川上未映子

朝起きて、昨日の土鍋ご飯でおにぎりを作って、
残った豚肉と大根の煮物を温めなおす。
まどろみながら吉野の受験の本。
午後遅い時間に自転車に乗って、雨の街に買い物に行った。
デパートの地下で野菜とお肉を買って、バケットを買う。
はじめは傘をさしてたけど、
だんだんめんどくさくなって、
傘なしで大きな街を自転車で走り抜けた。
家に帰って、受験の本の続き。
またもまどろみ、まどろみ、気づいたらもう外は暗くなっていた。

今日の夕飯は思い切り時間をかけて作ろうと決めていた。
豚肉とキャベツの洋風煮込み。
塩とにんにくをすりこんだ豚肉を2時間近くコトコト煮込む。
グリンピースご飯。
この時期にしか出てこないグリンピースご飯が私は大好きです。
あさりと芹のお吸い物。
大粒のあさりに残りのものの芹を加えて春らしく。
合間に川上未映子ちゃんの『乳と卵』を読みながら。

6時くらいから作り始めて、気づけば9時。
金八先生の最終回を見ながら食べる。
自分で言うのもなんだけど、感動的においしいご飯でした。
豚肉はやわらかくていいお味だったし、
グリンピースは緑がキレイでやわらかすぎず硬すぎず、
お吸い物はあさりがふんわりやわらかくいい火加減で、ありあわせの芹が春らしい香りでいっぱいだった。

お風呂にお湯をためながら、『乳と卵』を読む。
これ、私はすごく好きだ。
入れ物としての体に対する違和感ってすごくよくわかる。
私もときどき自分の体が自分のものでない気持ちになって、
気が遠くなることがある。
というか、自分が自分でないような気に、最近よくなって、
それが仕事中だと「やばいやばい」と必死に自分を取り戻すのが大変です。
まだ初潮を迎えていない緑子ちゃんが思うことはよくわかる。
私もそれくらいのとき、同じことを考えていた。
女になる前の、女になっていく体を受け入れられない子供のときのとまどい。
ときどきグロテスクで、饒舌でありながら、決して喋りすぎておらず陳腐なところのない、重みを持ったこの物語。
しかし、この物語はより女性に共感を呼ぶものであるなあ、と思ったけど、
男性読者はどう感じたのでしょう。
未映子ちゃんのカツラヘアがかわいくて、
次はこの髪型にしようと思った。

いくつか電話をし、まどろんでまどろんで、気づけば深夜、
お風呂のお湯は出しっぱなし、読書灯はつけっぱなし。
昼間もあんなによく眠ったのに、こんなにもよく眠れるのは、
生理前だからか、新しい仕事に疲れているからか、春のせいなのか、
と思っているうちにまた眠ってしまう。

コート

土曜日。
ゆっくりと起きて、はがきを書く。
ぎりぎりになってしまったけど、書くことは決めていた。
『Time Exposed』と夕陽と世界で生きている人のこと。
青山の『やんも』で白い肉厚の焼き魚を食べる。
雑貨屋さんでバラのピンバッジを買う。
エレガント。
お仕事のヒントを探しにデパートめぐり。
三越の食堂で抹茶ケーキを食べた。
夜は常夜鍋。

日曜日。
朝からお仕事。
夕方もう暗くなった頃、歩いて六本木ミッドタウンへ。
買うものないね、と言いながらぶらぶら歩く。
オレンジ色に縁取られた並木道と、
青色発光ダイオードだらけの丘。
夏にこの芝生に寝転んで星を見たなーと思い出す。
(そして警備員に怒られたのだった)
スターバックスコーヒー提供のゴスペルが
元気がよくて楽しい。
今年、コートがほしくて、私は大げさじゃなく
50着以上のコートに袖を通した。
でも、気に入るコートに出会えなくて、もう諦めかけていたのに、
出会ってしまった!
運命のコート!
早めのクリスマスプレゼント。
嬉しくて嬉しくてしかたない。
夕ご飯は近所の大好きな和食やさん。
れんこんのきんぴら、風呂吹き聖護院だいこん、
芝えびと下仁田ネギのかきあげ、牡蠣と下仁田ネギの白味噌鍋、
あと輝くような白いごはん。
結局、いつもこのお店がいちばん好き。
骨董のお皿も、丁寧な接客も、素材も腕もいいごはんも、いいにおいのする店内も、
いつも安定した満足を与えてくれる。
体の中がぽかぽかする。
おうちに帰ってお風呂に入って、
久しぶりにテレビを観て(格差婚とチュートリアル)、
包まれるように眠った。

カクバリズム5周年イベント

土曜日。
夕方から先輩たちとライブに行く。
カクバリズムの5周年イベント。
遅れていって、キセルとサケロックとYour song is goodを観た。
キセルはふわふわ溶けそうな感じで、
サケロックもぐらんぐらん溶けそうな感じで、
ユアソンはうわーって爆発する感じ。
ユアソン、2年前のフジロックで最後の1曲だけ聴いた以来でしたが、
すごかった。
すっごくかっこよかった。
ものすごいテンションでそれに何もかも持っていかれてしまう感じ。
巻き込まれてしまう。
曲はぜんぜんわからないのに体が勝手に踊っちゃう。
アンコールで二階堂和美がユアソンのメンバーのために
サンバのリズムで『関白宣言』を歌った。
いい歌で、むしろいつか私が結婚式をするようなことがあったら(たぶんない)、
女友達全員に合唱してもらいたいような歌だった。

最後にカクバリさん(事務所の社長、本名)が出てきて、熱くて青くて恥ずかしいことを言った。
「クラブで盛り上がって、4時とか5時とか朝になるころ、
すげーいい曲かけて、まわしてるほうも踊ってるほうも、
あー、音楽サイコーっていう瞬間ってあるじゃん。
それを俺たちはずっとずっとみんなで共有したい、
って気持ちでずっとやってきて、5年続いた。
これからも同じ気持ちでやっていきたい」
「カクバリズムのメンバーはみんな、サイコーの仲間だし、
今日来てくれたみんなも仲間だ」
うー恥ずかしいよう。
でも、すげーかっこいー。

踊りながら会場を出て、先輩たちを待ちながら、
心も体もクールダウンしながら思ったのは、
「みんな最初はそうだったんだ」ということだった。
私たちの仕事も始めは、
「すごくおもしろいものがあるから、みんなに伝えたいなー」
と思った人が始めたことで、
でも組織が大きくなって、会社になって、
そういう思いよりも、
やりたくない仕事をしたり、めんどくさい仕事をしたり、
責任につぶされそうになったり、金金金のことばかり考えなくちゃいけなくなったり。


そうするともう楽しくなんかなくて、
いかに効率よくお給料をもらうかってことになっちゃってる。
きっと食品メーカーもゼネコンも医者も弁護士もテレビ局も出版社も
みんなそうなんだろうな、って思った。
最初はみんな、「これすごいよ。みんなにも教えてあげたいよ」
って気持ちからスタートしてたんだろうな、って思った。

ビールを山ほど買って、我が家で遅い夕ご飯。
ネギのマリネ、ゆでたまご、いちじくのパン、きゅうりと香菜と青じそとミントのサラダ、生ハムとサラミ。
ライブの感想とお仕事の話と小沢くんの話。
古いオリーブを引っ張り出したら、先輩が貪るように読んでいた。
よきところでキムチ鍋。
私、すきっ腹にビールだったから、しっかりしているようで、すごく酔っ払っていて、
なんだかずっと笑っていた。

わたしが一番きれいだったころ

私の心を覆っていた悲しみはいつのまにか去っていた。
悲しみが去ってみると、からりと私の心は晴れ渡っていて今日の青空みたい。

雨の日もあれば嵐の日もあって、晴れの日もあればくもりの日もあって。
自分の心や生きるということじたいがお天気といっしょで、
上がったり下がったりの繰り返しなのだ、とふと思った。

躁病や鬱病の友人がいる。
でも私だって、小さな躁と小さな鬱を繰り返して毎日を過ごしているんじゃないか。
彼らよりそのふり幅が小さいだけで、本来、人の心自体とっても不安定なんだ。

晴れてばかりだと干ばつになってしまうし、
雨ばかりが続くと大洪水。
晴れの日もあって雨の日もあって、その繰り返しがちょうどいい。
そして雪やくもりや虹が風が
季節に彩りを添えていく。

雨の日はおうちで一日、本を読むように、
晴れた日は公園でピクニックするように、
私は私の心が何を求めているのかを深く感じ取って、
ただ毎日を淡々と生きていくことだ。

どんな嵐も雷も受け入れて生きていくと
それが生きることだからと決めたのだ。
平坦な戦場を生き延びていくのだ。

心や体の声を聞く。
それがどんなに大事なことかわかったのは
20代も後半になってから。
だから長生きしてやろうと思う。
茨木のり子の『わたしが一番きれいだったころ』を
なぜか戦争で一番若く美しい時代をダメにされた女の子の詩だと思っていたら、
それがメインの話ではなかったことに気づいて、
ああ、私もルオー爺さんのように長生きしてやろう、と思った。
私も同じく一番きれいだったころ、
無知で自意識過剰で心と体を持て余していた、
と思うから。

『おんなのことば』茨木のり子

前に好きだった人からメールが来る。
彼はいつもそう。
私が悲しかったり寂しいときに
びっくりするようなタイミングで連絡が来る。
助けての声が聞こえるの?

南国の果物の名前のカフェバーで遅い夕ご飯。
明石のたこゆでたの、揚げぎんなん、空芯菜のいためたの、あげぶた、穴子めし。
オリオンビールとモヒートとジントニックを飲む。
ご飯もお酒もきらり輝きを放ってた。

彼とは本当に話が合う。
つきあってたんだから当たり前かもしれないけれど、
でも話すことが楽しくて楽しくてしかたがない。
お仕事と音楽と本の話。
それから仕事でどうやって世界とつながっていくか、
世界に果たしていく意味。仕事での目標。
すばらしい営業マンがすばらしい経営者になるとは限らない。
不幸せを受け入れるということ、悲しみを受け入れるということ。
伝記と村上春樹。
文芸と雑誌文化。
本屋大賞は本屋さんのためにならない。
上海旅行の印象。
話したいことがありすぎて、とりとめもなく。
あれもこれもと話は行ったり来たり。
『海派』という言葉を教えてくれた。

つきあっていたときの話をいくつかされて、すごく恥ずかしかった。
仕事の失敗であたったりとか、彼に「ケチ!」って言ったりとか。
あー22歳の私って、本当に最低!
はずかしすぎる!
もう忘れていたたくさんの話。

頭がよくて、たくさんの音楽を知っていて、
自分に自信がないけど生きていくことに前向きでひたむきで、
聞くのも話すのもとっても上手。
部屋の中でも車の中でもいつも音楽をかけてくれて、それを耳の端で聴きながら、
私たちは本当に本当にたくさんのことを話した。
あの頃生まれて、今はもう忘れてしまったたくさんの言葉たちは、
今でも私の心の奥底で砂金みたいにキラキラきらめいて、
私を支えてくれてるんだと思う。

つきあい始めの頃、私が2週間くらい旅をしていて、
帰ってきたら、絵本を渡された。
ページの中に封筒が仕込まれていて手紙が入っているしかけ絵本で、それもかわいかったんだけど、
その封筒には絵本についていた手紙ともう1枚、彼の手書きのポストカードが入っていた。
私がいない間に行った美術館や展覧会で買ったポストカードに、毎日私への手紙を綴ってくれていたのだった。
あんなに心がこもった贈り物を、私はあれ以降もらったことはない。

もう2度と私たちの人生が交わることはないでしょう。
でも、私は彼とつきあえたことを本当に幸せに思う。
そして誇り高く生きている彼にいつ会っても恥ずかしくないように、
本を読み、音楽を聴き、仕事をし、いつもきれいでいて、
しっかりと生きていようと思う。
彼にも「つきあってよかった」とずっと思ってもらえるように。

おいしいお酒はよい眠りを誘う。
ここ2、3日の不眠が嘘みたいにぐっすり眠る。

朝、電車の中で別れ際にもらった本を開いた。
「今読んでる本」と渡されたのは茨木のり子の詩集だった。
最初に載っていたのは有名すぎる『自分の感受性くらい』で、
私はよく知っている詩だったけれど、
最後の3行を読んだとたん、目に涙がたまった。

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

『文科系トークラジオ Life』

文化系トークラジオLife/津田大介
¥1,995
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キムチ鍋の残りでうどんを食べる。
激しく降りなぐった雨は昼前にさあっとあがった。
新宿アルタ前で弟と待ち合わせ。
さっき食べたばかりだけど、と思いながら
つな八で天ぷらを食べる。
エビとまいたけとヒラメと小エビのかきあげ。
14時から紀伊国屋ホールでTBSラジオ『Life』のトークイベント。
何回かしか聴いたことがないのだが、
朝の時点でまだチケットが残っていたので、
弟と聴きに行くことにした。
①働くということ
②大人になるということ
③社会に入る
④総括
の4部構成で、①②③は1対1のトークセッション。
④は司会者による総括。(というか言い足りないことをみんなが補足)
ラジオのイベントだから仕方ないかもしれないけど、
クローズな感じがしたのが残念だった。
内輪ノリというか。
ラジオのヘビーなファンじゃない私たちは、すんなり入っていけなかった。
そこはかとなく漂うオタク臭に辟易。
私と弟は半分寝ながら参加。
●QJの元編集長の森山氏。
「9.11のときに当時編集長が、政治に触れないで自分たちのやれることをやっていこうと言った。
当時はそれに賛同したけれど、今はそういう気分ではない。
それで政治特集をやった」
●日本は消費によって変わるかもしれない。
●就職はプロセスに過ぎない。
●入り口を見つかられないと入っていけない。
●とりあえず働く。
●官僚主義。政治家が替わっても役人が替わらないから日本は変わらない。
●豆腐屋で豆腐を買う。
大人になるということについて自分のことを考えてみると。
もう29の自分は大人に近づいてきた子どもって感じ?
子どもでいたいとはもう思わないし、
大人になりたいと切望しない。
でもよい大人になりたいと日々意識している感じ。
とっても個人的な話、
(だいたい「大人になる」なんてエモーショナルで超個人的な話でしか語れないような気もする)
私は愛されるだけでなく人を愛するようになったら大人への一歩なのかな?と思う。
私が人を愛するようになったのは本当に最近の話で、
求めることだけではなく、あの人のために何かをしてあげたい、
という思いと行動はずいぶん私を大人にしてくれたような気がする。
それからすごくわかりやすい話ですが、「自分が大人」と実感するのは、
いつか子どもを生んだときなのかもしれないと。
もちろん子どもを生んだからといって子どものままの人も多いし、
全ての人が子どもに恵まれるわけじゃない。
(私だってその段になって子どもを生めないかもしれないし)
だけど、子どもという存在を得て、
その対極として自分が大人であることを意識するのかも。
…と母になった友人と話していて思ったことがあるのです。
正直、今日舞台で話している人たちは
みんな独身者っぽいなあ、と思った。
だけど、いい年したおじさんたちが「大人になる」ということについて
真剣にしゃべったりするのってすごくいいと思う。
こういう試みに勇気付けられる。
日本は(世界もかもしれないけど、私にはそれを感じるすべがない)あきらかにどこかおかしくて、
なんとかしなくちゃなんとかしたいと思っているけど、
何をしたらいいのかわからなくてただ苛立ってる、そういう人がたくさんいるんだな、と思う。
それをちゃんと行動に移している人たちがいるのはステキなことだ。
テレビや新聞にはできないことだ。
TBSっていうAMラジオ局でやってること自体すごく不思議だもん。(クライアントついてるのかな?)
らんぶるで冷たいカフェオレを飲む。
真冬コートを探すべく、服屋のはしご。
日がしっかりと暮れてから花園神社へ。
今日は楽しみにしていた酉の市!
お参りして、熊手を物色して、ビール・焼き鳥・おでん・焼きそば・モツ煮込みで夕ご飯。
弟は今日のイベントがお気に召さなかったようす。
「つまらなかった」そうだねー。そうかもー。
そして、でも「彼らの前提はやっぱり大卒からなんだね」とか言われて悲しかった。
そこは物語の本質ではないけれど、語られる設定にも組み込まれていないのだから、
物語は始まりはしない。
見世物小屋に入って、「こわいこわい」と大騒ぎ。
16歳の男の子と女の子からあんず飴を買って食べながら帰る。
弟と別れて、渋谷に寄ってブックファーストで長尾智子の料理本。
ぶつぶつひとりごと言いながら、がしがし歩いて帰る。
体が火照っていて、雨に濡れるのは気持ちよかった。
お風呂に入って、部屋を掃除、洗濯、12時前に布団に入って本を読み始めたのに
なぜか眠れない。
上の階のカップルが大騒ぎ。
ときどきDVなんじゃないかと不安になるくらい
叫んだりドタドタするのが今日もあって、いちゃいちゃする声がして、
ピタと静かになって、お風呂の音がして、誰かが外に出て・・・
つまらない私の想像力はむくむく広がっていって、
「人殺しが起こっていたらどうしよう」
と怖くなってしまってますます眠れず。
結局眠りの海に身が沈んでいったのは空も白んだ
6時頃だった。

『村上春樹にご用心』内田樹


村上春樹にご用心/内田 樹
¥1,680
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夢も見ずに深く眠った。
昨日の白菜鍋の残りのスープで卵雑炊。
これが大好きで、冬の夜は白菜鍋を作ってしまう。

父からメール。
今日がその日だったのだ。
父の転勤で両親と祖母が地方へ行く。
この年になって大変だな…と思うけれど、
少し長めの旅だと思って楽しんできてほしい、と手紙を書いた。
自分にとって大切な人が幸せであることが、
自分にとってのいちばんの幸せだと思うようになった。
だから自分もちゃんと生きなくちゃ!
「あなたも自分の幸せ見つけてね(^-^)母より」
という言葉に思わず笑う。

7年近くいた部を異動になる。
今までとは違う雰囲気の仕事。
私はやりがいを見出せるのだろうか。
戸惑ったけれど、
「優秀な上司について、働き方を見てきなさい」
と部長に言われて、がんばろうと思った。

今までしてきた仕事から離れることを思うと、
まだ2ヶ月もあるけれど、

涙が出てしまう。
仕事は私の20代そのものだった。
人様から見れば取るに足らない仕事だけれど、
社会に与える影響力とかほとんどないけど、
でも私は夢や創造力や未来を作る仕事だと思っていた。
私は家族や友達や恋人といるよりも長い時間を会社の人たちと過ごしたのです。

『村上春樹にご用心』の中で内田樹先生が、
霊的成長について語っている部分があって、
私はすごくいいなと思った。

「自分がいなくなると残された人が困る、
というのはすごく魅力的なことで、人はついついそれを望んでしまう。
でも、自分がいなくなってもみんなが困らないようにしておくこと、
それが本当に正しいことで、霊的成長なのだ」

みたいな。
村上春樹の作品中には「配電盤」という言葉で表現されている。
私は昔から独占欲が強くて、人に必要とされたり愛されたいと思う気持ちが大きい。
20代の前半くらいまで、その気持ちをコントロールできなくて、苦しいときがあった。

でも、今はもっと穏やかな気持ちでいられる。

私がいなくなってもなお、私たちが作ってきたものが愛されていきますように。

もっともっとたくさんの人たちに愛され、

ビジネスとしても成功しますように。
私がこの仕事場で学んだこと、蓄積してきたものをみんなにバトンタッチして、
ここを卒業できたら、と思う。

『愛し愛されて生きるのさ』


ダリヤ
余ったキノコでソテー、ふわふわ豆腐、玄米ごはん、ラ・フランス。
テレビでゴダイゴが『銀河鉄道999』を歌っていた。
そしたら、それを元ネタにした小沢くんの『愛し愛されて生きるのさ』が聴きたくなった。
自転車に乗って大きな駅へ向かう途中、
思い出しながら歌ってみた。
月が輝く夜空が待ってる夕べさ 突然ほんのちょっと誰かに会いたくなるのさ
そんな言い訳を用意して 君の住む部屋へと急ぐ ウーアアアアアー
ああ、なんて美しい言葉たちなのだろう、
と思って汚いけれど早朝で凛とした空気の大きな街を自転車で横切りながら、
深く深く心を打たれる。
小沢くんの書く詞は本当に美しく、生きていくことに根ざしていると思う。
駅前で花屋がダリヤの花を運んでいるのを目の端で見る。
朝陽のオレンジ、闇に近い夕暮れの赤、イギリス人の女の子の頬のピンク。
その花屋で買ったダリヤが私の部屋にも飾ってある。
アネモネもそうだし、私は深くニュアンスのある色合いの花が好きだな、と思った。
そのときふと、
消費によって自分を知る、
んだなと思った。
服も靴も家も花も食事も音楽も本も、生きることは消費することで、
私は選んで消費するたびに、
自分が何を好きで何を選んでいるのかを強く意識する。
私は消費を煽るような仕事はもうしたくないけれど、
でも消費せずには人は生きられないのだ。
そして、誰よりも私は消費することにこだわりを持ち、
消費することを愛する消費者ではないか、と思う。
もちろん消費することだけが自分を知る手段ではないけれど、
消費することが私を作っている要素のひとつであることは間違いないのだ。

改札をくぐりながら、急いで『愛し愛されて生きるのさ』を聴く。
座席に座って、何度も何度も聴く。
家族や友人や恋人がいないと私は生きていけないな、と思ってたまらない気持ちになる。
ひとりきりでは生きていく意味がないと。
愛する人がいなくては、誰かに愛してもらわなければ私は生きてはいけない。
私はもう29歳だけれど、悩みはつきないし、
これから結婚しても子どもができても40になっても50になっても、悩んでばかりだと思う。
だけど、誰かを愛したり愛されたりすることだけが私を救ってくれるのだと思う。
いつだって可笑しいほど誰もが誰か
愛し愛されて生きるのさ
それだけがただ僕らを悩める時にも未来の世界へ連れてく
そんな11月になったばかりの朝。

ハナレグミ『弾きが旅だよ 人生は!』


はなれる

↑ランプやティーセットがおいてあるステージは、お金がかかっていないけれど、

とってもステキで、まるで永積くんちのおうちみたいだった。

それでもって、真っ暗になってステージだけ照らされると、

小さなバンドの人たちが夜の公園で勝手に音楽やってて、

私たちは遠巻きにでも「うわ!なんてステキ」と心奪われている人たちみたい。

そんな雰囲気でした。



とーっても楽しみにしていたハナレグミのライブはやっぱり本当に楽しくて、
私は泣いたり笑ったりして大騒ぎ。
まるで中学生に戻ったようだった。

大好きな『踊る人たち』がかかると、もう踊らずにはいられない!
だって踊る人たちですよー、みなさん踊りましょうよ!という気分で率先して
立ち上がって、音楽に身を委ねる。
クライマックスでスチャダラパーが出てきたときにはバカみたいに黄色い声を出し、
「今夜はブギーバック」のイントロが流れたときは、
キ○ガイみたいに叫んで泣いて喜んだ。
(そういえば『ドゥーワチャライク』でよく小沢くんは伏字を入れて「キ○ガイ」という単語を使っていて、
だから私はいい年して、いまだにキ○ガイキ○ガイと連呼してしまう)

私は小沢くんのライブに一度も行ったことがない。
だから、永積くんは小沢くんの100倍歌がうますぎるけれど、ほんとうにほんとうに嬉しかったのです。
これよくない?よくないこれ?よくなくなくなくなくなくない?
よいですよ。すばらしくよかった。

バラードでは、何度も何度も泣きそうになる。
永積くんのバラードを聴くと、愛する人をもっと大切にしたいと思う。
愛する人に出会えたことを幸せに思う。
愛だけが私の心を助けてくれるのだと思う。

もうとにかく私のすべては音楽に向かっていて、
音楽は楽しいなあ、ステキだなあ、と脳からアドレナリンが出まくっていて、
この世のものとは思えないような、そんな気分でした。
永積くんのライブは、本当に感動的です。
歌がうまいって素晴らしいことね。
永積くんは存在が歌そのものだ。
歌っているときの永積くんは歌そのものになって空気に溶けて、私たちにしみこんでくるのです。
あんなにもステキな声で歌える君は幸せものだ。
そして永積くんと同じ時代に生きて、その声をライブで聴くことができる私は幸せものだ。
歌手になってくれてありがとう。
私たちをステキな気分にさせてくれてありがとう。

心と体が音楽で満たされている。
るんるんスキップして帰って、
先輩やお友達とビール飲んでジンギスカンを食べてつけめん食べてメロンシャーベット食べて帰る。
次の日目が覚めても、私の体の中では永積くんの音楽が残っていて、
私はずっと彼の曲をくちずさんでいました。

【セットリスト】mixiのを引用してくれたのを引用

1、かこめかこめ
2、マドベーゼ
3、そして僕は途方にくれる
4、people get ready
5、ハンキーパンキー
6、かえる
7、Three Little Birds~ヒライテル
8、督促状
9、踊る人たち
10、jamaica song
11、さらら
12、うららかSun
13、音タイム(with オオヤユウスケ&高野寛)
14、Wake Upしてください
15、アーバン文法(with スチャダラパー)
16、今夜はブギーバッグ(with スチャダラパー)
17、明日天気になれ
~アンコール~
18、WALKING IN THE RHYTHM
19、Musica
20、家族の風景
21、きみはぼくのともだち(新曲)
22、サヨナラCOLOR