桜吹雪の中で | hirari

桜吹雪の中で

今年の桜の季節はそわそわしてて、

何度もお花見をしたけれど、

なんだかさっぱり覚えていない。

心にしっかりと焼き付いているのは、

通勤途中の自転車で

桜吹雪の中を駆け抜けたことだった。

川べりの桜並木からは

豪快にじゃんじゃん桜が散っていて、

恍惚の情景だった。

私はその桜並木の中を

マッハスピードの自転車で突入。

そして散り注ぐ桜の花びらのなかを

自転車をこぎ進める。

生暖かい風が私を包み、

目の前には粉雪のような小さな花びらが

どんどん大きくなって近づいてきて私を通りすぎ、

また粉雪みたいな花びらが大きくなって、

私の目にはりついてしまうようだった。

私は「ああ映画のようだ」と思い、

その一瞬あとに自分が思ったことの愚かしさに笑った。

いいえ、この情景が先にあって

映画はそれを撮っただけじゃないのと。

そうして絶え間なく自分に散り注ぐ桜の花びらが、

まるで光の粒のようだ、と思った。

私たちは本当はこうした桜の花びらを

光の粒をいつもいつもいつもいつも浴び続けているのかもしれない。

美しいもの、優しいもの、明るいものがいつも降り注いでいているのに、

それに気づいていないだけなのかもしれない。

ときどきその美しく優しく明るいものは

こうやって桜の花びらや、雪の結晶や、冬の流れ星や、黄金の西日となって、

私たちの前に姿を現してくれる。

いつもここにいるよ、と教えてくれる。

長い別れのときも、わかり合えない悲しみにくれるときも、孤独に苛まれるときも

美しく優しく明るいものがいつも私たちに降り注いでいるのだ、本当は。

いつもいつもいつもいつも。

そう思ったら途方もない多幸感に包まれて、

自転車に乗ったまま気が遠くなってしまいそうだった。

繰り返し繰り返し、桜の花が咲く。

そのたびに私は昔見た桜を思い出し、

1年前には考えなかったこと、

そして毎年考えることを考える。

あと何度桜の花を見るのだろう、

それは遥か昔、清少納言が感じたことと同じ事を私も思う。

と京都でそんな話をしたことを思い出す。

あーでもあれは桜ではなく紅葉の季節だったわね。