1Q84 | hirari

1Q84

食パントースト

いちごのコンポート

アボガドサラダ

塩豚

卵がけごはん

ゴールデンキウイ3つ

らくがん3つ

かいちん5つ

塩豚うどん

私が土曜日に食べたもの。

ただ家で本を読んでいただけのに、

おなかがすいておなかがすいて仕方がなかった。

美術館もお散歩もやめて、

土曜日の私はひたすら「1Q74」を読んだ。

読み始めたら止まらない。

窓辺に腰掛けて、ベッドによりかかって、

ベッドに仰向けになって、ベッドにはらばいになって、

お風呂の中で、トイレの中で、髪を乾かしながら、ご飯を食べながら、

ひたすら読み進めたのだった。

いままで彼が書いたどの作品よりも

マスに向けられており、またメッセージ性の強い本だとおもう。

彼がいままで培ってきた手法、文体、比ゆ、そうした全てが

「1Q84」の中に詰まっている。

半身を失うような激しい喪失感とそれを回復する愛の物語。

それが彼が書き続けるテーマだと思うけれど、

「1Q84」はそのテーマを最も多くの人、

特に若い人や本を読み慣れない人にも

向けて書かれたもののように思い、

私はそのことに深く深く心を打たれた。

なんというか村上春樹の読者への愛のようなものを感じたのです。

村上春樹が私たちみんなにむけて書いてくれた手紙だな、と思った。

私たちはどうしてこんなに寂しいのだろう。

友達といても、欲しい服を着ても、おいしいご飯を食べても、

たとえ愛する人と一緒にいても

どうしてこんなに寂しいのだろう。

私たちは気づかないうちにそうした寂しさや不安(小説ではリトル・ピープルとされ
る)に蝕まれてしまう。

そんなときに、私たちを満たしてくれるのは愛だけなのだ。

たとえどの時代に生きていたとしても。

そしてその愛は例えもしも相手と結ばれなかったとしても、

こんなにも強く誰かを思い、誰かを求め続けることだけで本当は満たされるのだ。

私はそんな風に読んだ。

根津の蕎麦屋で偶然手にした、

読売新聞の福岡伸一の書評がすばらしかった。

心無い評論に腹が立つこともあるけれど、

ときに評論は私たちの理解を深めてくれる。

「単なる遺伝子(キャリア)の乗り物である私たちが

私たちたるためには、自分の言葉で自分の物語を語るしかない」

まさに「1Q84」のラストシーンはそんな風景ではなかったか。