アイサレルよりもアイス | hirari

アイサレルよりもアイス

よしもとばななの「海のふた」と
上田紀行の「かけがえのない人間」が
私に残した印象は同じ、
だと日本橋に向かう電車のなかでふと思った。


お金は大切だけどすべてではないということ。
かけがえのない自分を大切にして生きるということ。
そうして初めて人や社会のために何かできるとういこと。


こうやって書くと陳腐すぎてばかみたい!

でもどちらも私がここ何年かぼんやりと考えていたことで、
こうして作家が書く小説と学者が書く新書という形で
まとめて読めたことを嬉しかった。
しかも偶然にも同時に!
そして、いま作家も学者もただの女でさえもそうであるならば、
世界中の人たちが同じようなことを
漠然とでも感じているに違いないのだと思った。


愛されるよりも愛する
と書くと流行歌のタイトルのようで安っぽいけど、
そうして人は初めて自分の人生を生きるのだなあ、と思った。
以前、人はいつから大人になるのだろう、と考えたときに
私はなんとなく「子どもができたとき」という答えを導いたけれど、
それはあながち間違いではなかったのかもしれない。


「愛すること、それは自己を確立することなのです。
愛されたい、それだけでは私たちはいつまでも子どものままです。
親や社会の目を、評価を気にして、自分を確立できないのです。
愛されることから愛することへ、そこから自己の確立が始まるのです」


上田先生はこんなふうに書いていて、私はすごく納得した。
20代のはじめのころは、愛されることばかり考えていた。
愛が足りない、といつも思っていた。
だけど心から人を愛して、その人のためにどんなことでもしてあげたい、
と思った時に初めて大人になれたように思う。
私にはそういう出会いがあって、人を愛する喜びに触れたけれど、
多くの人がはっきりとそれを自覚しやすいのは
子どもを授かったときなのではないか。
無償の愛を注ぐ対象を得たときに、人は自己を確立し、
自分が大人になったことを自覚するのではないか。


いま私の愛は、
決して一人の人間を愛することにとどまらず、
まるで延びたり縮んだりするみずうみのように
やさしい広がりを持っているように思う。
それは、すれちがう人の笑顔が残る口もとや、空のはしっこに切れ切れに流れる雲や、
遠い国の子どもの泣き声にまで及ぶもののような気がする。
おこがましくも。


地下鉄に乗って、日本橋で仕事をし、その後小さな喫茶店で
カレードリアを食べながら、そんなことを考えた。
本と本、点と点がつながった日。
そして、自分がどれだけ愛されていたかということを
深く思い知った日。


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本来、小説家も学者もそうであるべきだし、
そうでなくては意味がないのだ。
「わたしは常に卵の側に立つ」