レボリューショナリー・ロード | hirari

レボリューショナリー・ロード

彼女は愛していなかったのかもしれない。


弟と一緒に新宿のトルコ料理屋でケバブを食べて
ぴかぴかのテアトルで映画を観た。
私は「アラビアのロレンス」を見たいといったのに、
「レボリューショナリーロード」を見ることになった。
タイタニックの悪夢を思い出していやだなあと思ったけど、
実際には見るに十分値する映画だった。


50年代のアメリカ、美しい夫婦が駄目になっていく話を
丁寧に丁寧に描いている。
不穏な雰囲気が連綿と続いていき、
夫婦が幸せそうなシーンでさえも私は息苦しく、
いつ暗雲が立ち込め、嵐が訪れ、落雷が起こるだろうと、
息を潜めてみていた。


エイプリルはもし、上手に堕胎できたなら、
ひとりで出て行くつもりだったのだろう。
彼女は結局、誰のことも愛していなかったのかもしれないな、と思った。
夫のこともふたりの子供のことも。
彼女が愛していたのは彼女自身だけだったんじゃないかと。


だけど彼女を責めることはできない。
どこにでもある夫婦の話なのだ。
誰だって、グレーのスーツだらけの満員電車、炊事洗濯の繰り返し、
平坦な日常に飽き飽きしているのだ。
「本当はもっと自分らしい生き方がここじゃないどこかにある」
と思っているのだ。
「パリに行く」というのは、エイプリルにとって
人生をやり直す最後の選択肢だったのだ。
私だって本当はここじゃないどこかで生きることを
心のどこかで夢見ているのだ。


エンドロールを見ながら
私は昔、話したことを思い出していた。
「どんなに変わってたりかっこいい人でも
子供ができたとたんに普通になっちゃうんだよね」
と言ってた男の人。
「みんな結婚して、子供ができて、
自分のしたいことを我慢して自分を押し殺して
つまんなくなっていく」
と友達の悪口を言うゲイの男の子。


日常に耐えて生きていくことができるだろうか、と思う。
それを苦とも思わないほど、誰かを愛したり誰かのために生きたいと
心から思えるのだろうか。
いやいやそもそも、私は今までだって日常に耐えて生きてきたじゃないの、
と思い直す。
私はきちんと日常を愛している、と。


ふと周りを見渡すと若いカップルがいっぱいだったけど、
この映画はどう考えたってデート向きではない。
弟はエイプリルのエゴイズムにご立腹で、
それはそれでとてもまともな男の子の反応だ、と思って面白かった。

新しいブックファーストに寄って
立ち読みしまくって、ほんの少しだけ本を買って帰る。