冷たくて大きくてうるさい | hirari

冷たくて大きくてうるさい

家のカーテンと電気傘とベッドサイドの本棚を探し中。
部屋が完成するまえに、私はまた飽きて出て行くんじゃないかと思う。


だけど、通勤路はぞくぞく開拓していて、
会社まで自転車で行ったり、バスで行ったりして、
毎日いろんな道を通っている。
それはいまの自分の気持ちにとても寄り添う行為だと思う。


そうして、バスに乗っていたら、
懐かしい道を通ったのだった。

それはもうだいぶ前に付き合っていた人が
いつも車で送ってくれていた道だった。
私はあの時に通った道のこんなに近くに住んでいたことに
本当にびっくりした。


最近どこへ行っても、
「あ」と思ってしまう。
ここはあの夏の夜に歩いた道、
ここは冬にシャガールを見たところ、
ここは何度も乗った観覧車、
ここは初めてのデートでカキを食べた場所、
ここはあのときの駅。
どこへ行っても何をしていても
ここには私の思い出であふれすぎている、と思った。
たくさんの人たちが私の上を通りすぎていったのだった。


そして思った。
ここは私のふるさとなんだ。と。
私のふるさとと呼ぶにはあまりにも
途方もなく大きくて細かくて混沌とした場所。
だけど私は30年という人生のほとんどをここで過ごしてきた。
だからどこへ行っても何をしていても
思い出でいっぱい。


東京は人が冷たい、とか
東京は疲れる、とか
東京を去っていつか自分のふるさとへ帰りたい、とか
そんなことを友人たちが言うたびに
私は胸がちくちくしていたけれど、
それは私のふるさとが東京に他ならないからでした。
私のふるさとを悪く言わないで、と思っていたのでした。
地方から出てきた友人にとっては
冷たくて大きくてうるさい東京砂漠かもしれないけれど、
人生のほとんどを東京で過ごしてきた私にとっては
東京こそがふるさとなのだった。


冷たくて大きくてうるさい東京そのものが
私のふるさとで、
私はその冷たくて大きくてうるさいものに抱かれて
思い出を垢のように蓄積させ心にこびりつけ
これからも生きていくのだ。