エミリー・ウンワグレー展 | hirari

エミリー・ウンワグレー展

六本木で発表会があって、でもちょっと遅刻して、さぼった。
さぼって「エミリー・ウンワグレー展」を見にいった。
平日の美術館なんて、学生の時ぶりだ。
とってもすいていて、アートな椅子に腰掛けて、外の景色を眺めたりした。

エミリー・ウンワグレー。
オーストラリア、アボリジニーの女性画家。
この名前も、アボリジニー語ではもう少し違う発音になるんだけど、
外の人の言葉で勝手に読み仮名をふると「ウンワグレー」になるってだけなんだって。
儀式のときにボディペインティングをしたり、布に絵を描いたりしていたが、
政府のプロジェクトで書いたキャンバス画がアート界に衝撃を与え、注目されるようになる。

会場に入って、最初の「アルハルクラ」を見たとき、
あまりにも眩しくて眼がいたいほどで涙が出た。
光の粒が押し寄せてくるみたい。
赤、黄色、緑、茶色、青、白。
いわゆる点描画で、モネの睡蓮のような感じ。
でも、モネの睡蓮はけぶった感じだけど、もっと光と命に満ち溢れた感じ。

大島弓子の『綿の国星』の1話めの最後の方。
チビが来てひと段落して、時間が過ぎていくのを表す、見開きのシーンを思い出した。
春から夏へ移り変わっていく流れ。
春の花がたくさん出てきて。
「なんという なんという季節でしょう」
あのシーンを初めて読んだとき、
マンガのモノクロページだというのに、
私の目には色とりどりの花が浮かび、
あの嵐のようにものすごい勢いで浮き立つように過ぎ去っていく、
春の渦のなかに自分が巻き込まれていく感じがして、涙が出た。
そのときの感覚を思い出しました。
ものすごい勢いで命が芽吹いていく感じに体が巻き込まれていく感覚。

ひとつひとつ見ていくうちに思ったのは、
この柄のお洋服があればいいのに、ということで、
こんな柄のお洋服を着たらどんなに元気が出るかしらと。
そして、その感覚は正しいのかもしれないと思った。
だって、もともと彼女は、儀式のときになされるボディペインティングや
儀式のときに身につけるものを書いていたのだから。
そして、そこには彼女のアルハルクラへの敬意と愛が込められていたのだから。
それを身につけたい、というのは私の正しい感覚だ、と思う。

途中、彼女に関するビデオをいくつか見ていたら、
また泣きそうになった。
彼女の故郷、オーストラリアの映像が流れいていて、
それは彼女の絵そのものじゃないか、と思った。
この大地をあんなふうに描くなんて、
と思って、その神々しいほどの才能になんだかとっても感じ入ってしまった。
赤は夕焼け空の色、黄色は遠い異国の花の色、緑は雨の後に芽吹く葉の色、
赤茶色はオーストラリアの土の色、青は真昼間の空の色、白はたなびく雲の色。
そのすべてが混ざり合っているのが彼女の絵。
現代アートを知らない作家であったにも関わらず、
その作品は現代アートそのもの、いえそれ以上の表現であったことは本当に不思議。
こんなこともあるのだ。
作品は作品のみで語ればいい。
本でも映画でも絵でもそうだけれども、
だけれども。オーストラリアの豊かな大地を知ってこそ、
彼女の作品はより意味を持ち、輝きを放つ。