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イートリップ


ひと仕事してから午後に
車で葉山を目指す。
夏らしいとてもいいお天気だ。


星空上映会
偶然見つけたホームページのその言葉を見たら、
いてもたってもいられなくて
どうしても行きたかった。
「イートリップ」という映画がこの秋上映されることは知っていて、
機会があれば、ていどに思っていたのに。
海にはよく行くけれど、
葉山は初めてだった。
御用邸のすぐ近くにある海岸は
小さくて人が少なくてなんとなく品がよい。
ついたころには夕日が沈む少し前の時間になっていて、
私たちは大きなシートを敷いて
そこに寝転がった。
そして大きな大きな橙色の太陽が
ぐんぐん沈んでいくのを静かに眺めた。

小さな白い海の家に入って
ビールを飲み、ご飯を食べながら
映画を見た。


食べることは旅すること。
それが映画のテーマで、
いろんな人にとっての食べること、
が映し出されていく。

沖縄に移住して自給自足をしている
若い女の人の話がすごくよかった。
「よく田舎暮らしがうらやましい。
私もしたいって言われます。
でもそういう人たちは耐えられるんだな、って思う。
私は都会で暮らしていくことに耐えられなかったんです。
だからここで生きていくしかない」
と彼女は言った。


だけど映画がよかったかというと
正直惜しい感じ。
よくわからないタレント、
というか浅野忠信がものすごく無意味に出てくるのが
すごくイヤだった。


映画を見た後に、
夕方敷いたシートに戻って
もう一度寝転がる。
波の音と、他の海の家でやってるライブの音楽が耳に優しい。
東京よりもずっとたくさんの星が見えて、
夏の大三角を探した。

海はいつも私の心を
優しく開いてくれる。

深夜のドライブに
大好きなCD。
思いついたときだけ発する
とりとめのない会話。


夏の長い夜が本当に好き。

西瓜


hirari-cherry

朝ゆっくり起きて、大掃除。
おふろをピカピカに磨き上げ、
トイレも念入りに掃除し、
部屋中を水ぶきする。
道に迷いながら下北沢へ自転車を飛ばし、ひとつ仕事を済ます。
帰りがけに魚屋とスーパーとパンやと花屋へ。
そしてバーっと料理にてをつける。


ラディッシュ浅漬け
なすのマリネ
オリーブ
イチジクのパン ドライフルーツをたくさん添えて
ホタテのカルパッチョ ベビーリーフと一緒に
フルーツトマト、いんげん、バジル、オリーブの冷たいペンネ
エビのローズマリー焼き
アサリのパエリヤ
すいか

魔女の豆ご飯
有名なたこやき
ナオキのレモンケーキ
後輩が焼いたキャラメルくるみケーキ
西から来たバームクーヘン


まえの部署の女の子たちを家に招く。
先輩と後輩と後輩の友達と、

近所に住むかつての同僚と、

魔女と、地方に住むかつての同僚と、

突然学生時代の友人。

狭い部屋に女ばかりが7人で、かしましガールズトーク。
図らずも誕生日を祝ってもらった。


夏に人を呼ぶと、私は必ずすいかを用意する。
すいかって団欒の象徴なんだ、私にとって。
夏の夜にテレビを見ながら三角にカットされたすいかを
家族全員で食べているシーンがしっかりと心に刻まれている。
だから夏に人が来ると
私は必ずすいかを買っておく。
お客様が食べにくいから、黒と緑の皮は切り落として、
ブロックにカットして、アンティークのガラスの器に豪快に盛る。
みんなで食べると、なんとなく団欒、って気持ちに勝手になっている。


女の子がふたり泊まっていって、
小さな部屋で3人で眠ったのが、
まるで修学旅行みたい、とそっと思った。
珍しく涼しい夜に、窓を開けて
キャンドルの光だけで3人で天井を見ながら
少しだけ話をした。
いちばん早く眠りに落ちたのは私だったように思う。

はなび

会社のお呼ばれで隅田川の花火。
会社の先輩たちと連れ立って。
浴衣を着ていく。
小さな私の体にぴったりと合う
紺地に白の紫陽花模様。
それにピンクとえんじの帯を締めると
どこへ行ってもほめられる。
自分でいうのもなんだけど
本当に素敵な浴衣なのだ。
おはしょりがきれいに出なかったり、
帯のタレが長すぎたり、
うまく着られなくて、
何度も着なおしているうちに少し遅刻。


ビルの屋上から見る花火は
とても大きくて、火の粉が降りかかるよう。
会社の人といっしょに
快適な場所で見る花火って
私がいままでの人生で見てきた花火とは違いすぎて、
なんだか花火を見たような気がしないのです、正直。


ご招待していただいた方に丁寧にお礼を言って
上野に移動してから飲みなおす。
さらに終電近く、先輩がもう一軒、というから
うろうろ次のお店を探して、
薔薇の館、という店の名前そのままでは?先輩!
というスナックに入った。


意外、というかまあ普通のスナックで
私たちの他にも中年の男女4人のお客さんもいたし、
男性であるママも美人できちんと着物を着ていたし、
いい店だった。
ママと楽しくお話して、焼酎を飲んでいるうちに、
いつのまにかカラオケ大会。
音楽をやってる先輩は
「俺はカラオケがきらいなんだ」
とか言ってたくせにケツメイシを歌って
隣のテーブルに乗り込んでいくし、
隣のテーブルのおじさんに見えて実はまだ28歳というおじさんが乱入してきて
「この子はオザケン好きなんですよ」という後輩の言葉を聞いて
今夜はブギーバックを歌ってくれたし、
ママが美声でひばりやジュリーをそれはそれは上手に歌い上げるし、
みんながそれぞれめちゃくちゃ頑張って
その小さなお店を盛り上げようとしてて
いま思い出すとみんながみんなすごすぎるテンションで
とってもとっても楽しかった。
そしておじさんのリクエストに応えて
私もモーニング娘を歌っていたのだった。
(なぜか歌えたのだから彼女たちはすごい)
締めは越路吹雪が続いて、
最後にママが歌ったのは「愛の賛歌」で、
私はおぼろげにやっぱり愛の賛歌なんだなあ、と感慨深く思った。


話したことはほとんど覚えてない。
ママが55歳だってこと。
この業界に入って30年だって言ってた。
私は、酔っ払った頭でその時代からこの業界に入ったのは
なかなか大変なことだったんじゃないかしら、と思ったのだった。
それから先輩がママに口説かれてたこと。
枝豆がおいしくて、「冷凍?」って言ったら
「あんたバカじゃないの?冷凍なんて出すわけないでしょ。冷凍なんて」
とママが青筋立てて興奮しながら怒ったこと。
(この人、食に対してきちんとした意識をもっている、と感心した)
私がもう31歳なんです、って言ったら
「あんた人生まだまだよ。これからよ」と割と真剣に言われたこと。


なんかこんな面白くてばかみたいな夜って
人生に何度かしかないかもしれないなあ、
にやにやしながらくるくる浴衣を脱ぎ捨てて
私はベッドに倒れこんだのだった。

扉をたたく人

31歳になった。
30になるのは新しいステージに突入する感じがして楽しみだったけど、
31はものすごくいや、と言っていたのだけど。
昔つきあっていた男の子からSNSを通してメッセージが来ていて
「素数の年には新しいことが始まるらしいよ。
3でも5でも割り切れない1年を楽しんで」
と書いてあって、すごくすてき、と思った。
11、13、17、19、23、29、31。
思い返してみるとそんな気がする。
昔つきあっていた人に優しくされるのは好きじゃなくて
いやだと思うこともあったけど、
1年に1回だけこうやってSNSを通してメッセージが届く。
それはかつて一緒の船に乗っていて、
でももう別々の船に乗りなおした私たちが
遠く遠くですれ違って光を送り合うみたいな、
そんな感じ。
もう二度と同じ船に乗らないけれど、
あなたのことを忘れてはいないよ、という控えめなあいのしるし。


31歳の私は。
少し太って、二の腕がたくましかったり、

腰周りの筋肉が緩んでどっしりしてきた。
胸は痩せてちょっと垂れたような気がする。
首には「シェリ」のレアが言うところの真珠の首飾り。
目が少し腫れぼったくなって、
顔にはやわらかさがなくなってその代わり強い意志が張り付いている。
おー年取ったなあ、と思う。


この肉体で私はいままで生きてきた分以上の年月を生きていきたい、
のだからしっかりとこの肉体を鍛えておきたいなあ、と思う。
こんなことは昔は思いもよらなかったことだった。
強い心を内包する入れ物としての体もまた、強いものであってほしい。


体をしっかり鍛えること。
ときどきのランニングを継続したうえで、ヨガを始めたい。
談春の会にはなるべく行きたい。
大切な人と会い続ける。
過去にとらわれないこと、と占いの本に書いてあった。
本は読むけれど、本を過信しすぎちゃだめ。重く考えすぎないこと。
深く深く生きること。
会社の仲間ともいま親しくしている友人とも

このままずっと一緒にいられるわけじゃないんだから。
いま一緒にいられることの尊さを忘れずに深く深くつきあうこと。
なるべくニュートラルで素直な気持ちでいること。


「扉をたたく人」
記念に何か1本映画を見ようと思って。
閉ざされた心がノッキングドア、人との交わりで開いていく姿を

優しく丁寧なまなざしで描いた映画。
だけどもっと根底にあるのは

アメリカが抱える問題についてなのかしら。
人がいうほど、私は感情移入できなかったし、

すっきりしない気持ちだった。

一九八四年 ジョージ・オーエル


hirari-1984

松本で行われた友人の結婚式は
それはそれは楽しく素晴らしいものだった。


本当は前乗りして、
静かな民宿に泊まって本を読もうと思っていたのに、
結局二日酔いがひどくて、
当日の出発となった。


今回の旅に持っていったのは
ジョージ・オーウェルの「一九八四年」。
文庫だし、旅に持っていくのに適切な本だ。
長すぎると重いし、短すぎると行き帰り分もたない。
引きずり込まれすぎると現実に戻れなくなってしまうし、
世界観が深すぎるとなかなかそこに入っていけない。
そういう意味ではとてもいい本だった。


あずさに乗って、長い列車の旅に出る。
長い列車に乗って本を読むのがすごく好き。
車窓から見える風景はどんどん緑の面積が広くなり、
少しだけうきうきする。
田んぼと山と少しの家、田舎の風景。


夕方近くから人前式、披露宴が始まる。
街中の小さな会場だったけれど、
大袈裟すぎないインテリアや

ちゃんとおいしいお食事が好ましいと思った。
働き始めてから知り合ったひとつ年上の新婦は
もともと美しく健やかなひとであったが、
ウェディングドレスも着物もそのあとのドレスも
神々しいくらいの美しさだった。
そしてみんなで二次会になだれ込み、
飲めや踊れやのパーティー。
サルサを教えてもらって、私も少しだけ踊った。


新婦が披露宴で読む手紙というのが、
私は大好きで、
その人の人柄とか生き方とか家族との関係が
ものすごくよくわかるからなんだけど。
彼女の手紙はけっして感情的ではなく、
とても筋が通って感謝の気持ちを正しい言葉で綴った丁寧なお手紙で、
泣き上戸の私が珍しく泣かなかったけれど、
でもとても心に残る内容だった。
彼女と私は少しだけ育った環境や境遇が似ていて、
自分に通じる部分がたくさんあると思った。
「私にしてくれたたくさんのことに感謝します。
そうしたことでパパやママが我慢してきたことが
たくさんあったんじゃないかな、といまになって思います」


次の日は友人とふたりで安曇野めぐり。
野菜がきちんと入ったパスタを食べ、
別荘地のなかのギャラリーでお皿とコップを買い、
美しい田園風景をだらだらとドライブする。
窓を開け放つと、ひんやりとした風が入ってくる。
山があって、田んぼが広がって、空が高くて、
道端にはひまわりやレンゲが咲き乱れる。
正しい田舎の風景。
おそらく地理学的にいえば、
木々や花の種類や地形が異なるのだろうけれど、
日本の田舎の風景ってどこに行ってもおんなじだなあ、と思う。
おんなじなのが悪いんじゃなくて、私はそれがすごくいいと思う。
安心するし、いつも子供のころに見た田舎の風景とだぶって
郷愁で心がいっぱいになる。


夜になる少しまえに、友人と別れ、再びあずさに乗り込む。
すぐに「一九八四年」を読み始めながら
車窓に目をやると、日が沈んだあとの赤みが少しだけ空に残っていた。
山の稜線がまるで影絵のようにはっきりと見える。
時間が経つほどに稜線は夜の闇にとけ、
山が無くなったのが先か、夜になったのが先か、
窓の先の遠くにはただ暗闇だけが広がっている。

うにほたて


hirari-pink

ホタテのカルパッチョ洋風と和風で
プチトマトのオリーブオイル和え
アボガドわさびじょうゆ
枝豆としらすの白和え
塩豚ゆでたの、香草とにんにくみそを添えて
ホタテバター
ご飯と生うに
すいか
お誕生日のバターケーキ


一緒に仕事をしている人たちを家に招く。
知り合って1年半。
だけど、私たちはもう数え切れないくらいの

ビールを一緒に飲んで、
気づいたら気の置けない仲間となった。
先輩と後輩とちょっと年上の女の子と、
1978年生まれの男の子と、
ぐっと年下の男の子たち。


何にもない家だなーと先輩が言う。

言われなきゃ気づかなかったけど、
確かにそうかもなーと私も思う。
家具と電化製品の他には
羊のモビールと小さな本棚とグリーンの植え合わせがあるだけ。
物が増えていく感じに嫌悪感を感じてしまっていらい、
どころか近頃の私は本さえも買わないようにしてる。


仕事仲間が家に来るのって不思議な感じ。
みんなで浴びるようにビールを飲みながら
みんなのiPodを繋いで一晩中音楽を聴いた。
朝方、年下の男の子が
「空き缶をコンビニで捨てていきますよ」
というから預けたら、袋4つ分になってたまげた。


石頭楼


hirari-shiro

広尾の石頭楼で、ごま油にまみれる。

学生時代の友人7人でご飯。

テーブルが大きすぎてみんなの距離がちょっと遠くて

幹事として、うーん、ちょっと失敗だな、

と三日酔いくらいの頭で思う。


マンション買った話、

子どもの話、不況の話、

それから少し昔話。


結婚してしまった昔の彼も来ていて、

私にとっていまも思い出の中で彼は大切な人だけど、

今日なんとなく、私たちが別れた理由がはっきりとわかった。

それから、私はあれからどれだけ頑張って仕事をしたのか、

いまとなってはその仕事にささやかなプライドさえも

感じていることがわかった。

私はもう自分や自分の仕事を卑下するようなことは

一言も言いたくない。

不思議ですね。

20代の始めのころは仕事なんて一生懸命やってはみるけど、

どうでもいいと思っていたのに。

Close to you。


物事にはきちんと理由がある。

そのときにはわからなくても

手を離したのにはしっかりと理由があるのだ。

終わってしまった恋にしがみつくのはみっともないことだ。

忘れる必要はないけれど、しがみついてはいけない。

でも終わった恋が本物ならば、

もう一度出会うでしょう。

何度でも出会うでしょう。


六本木の駅でみんなと別れた後、

恵比寿で先輩たちと合流。

バーtruckで飲んでいたら、

爆音でロックが流れて、爆音の中の沈黙。

そして、いつものお店に流れたところで

私は眠ってしまったのだった。

1Q84

食パントースト

いちごのコンポート

アボガドサラダ

塩豚

卵がけごはん

ゴールデンキウイ3つ

らくがん3つ

かいちん5つ

塩豚うどん

私が土曜日に食べたもの。

ただ家で本を読んでいただけのに、

おなかがすいておなかがすいて仕方がなかった。

美術館もお散歩もやめて、

土曜日の私はひたすら「1Q74」を読んだ。

読み始めたら止まらない。

窓辺に腰掛けて、ベッドによりかかって、

ベッドに仰向けになって、ベッドにはらばいになって、

お風呂の中で、トイレの中で、髪を乾かしながら、ご飯を食べながら、

ひたすら読み進めたのだった。

いままで彼が書いたどの作品よりも

マスに向けられており、またメッセージ性の強い本だとおもう。

彼がいままで培ってきた手法、文体、比ゆ、そうした全てが

「1Q84」の中に詰まっている。

半身を失うような激しい喪失感とそれを回復する愛の物語。

それが彼が書き続けるテーマだと思うけれど、

「1Q84」はそのテーマを最も多くの人、

特に若い人や本を読み慣れない人にも

向けて書かれたもののように思い、

私はそのことに深く深く心を打たれた。

なんというか村上春樹の読者への愛のようなものを感じたのです。

村上春樹が私たちみんなにむけて書いてくれた手紙だな、と思った。

私たちはどうしてこんなに寂しいのだろう。

友達といても、欲しい服を着ても、おいしいご飯を食べても、

たとえ愛する人と一緒にいても

どうしてこんなに寂しいのだろう。

私たちは気づかないうちにそうした寂しさや不安(小説ではリトル・ピープルとされ
る)に蝕まれてしまう。

そんなときに、私たちを満たしてくれるのは愛だけなのだ。

たとえどの時代に生きていたとしても。

そしてその愛は例えもしも相手と結ばれなかったとしても、

こんなにも強く誰かを思い、誰かを求め続けることだけで本当は満たされるのだ。

私はそんな風に読んだ。

根津の蕎麦屋で偶然手にした、

読売新聞の福岡伸一の書評がすばらしかった。

心無い評論に腹が立つこともあるけれど、

ときに評論は私たちの理解を深めてくれる。

「単なる遺伝子(キャリア)の乗り物である私たちが

私たちたるためには、自分の言葉で自分の物語を語るしかない」

まさに「1Q84」のラストシーンはそんな風景ではなかったか。

まき村

桜の花が散ってしまった、と思ったら

八重桜、山吹、白柳、藤の花、そしてばら。

私が住むマンションの前のおうちにこぼれ落ちるような

大輪のばらが咲いていて、いつも心奪われる。

なんと、なんという季節でしょう。

ひとつの花が終わったと思ったら、また次の花が咲く。

色とりどりの花たちが町中を彩ります。


自転車通勤を始めてから半年が過ぎて、

外にいる時間が増えたからなのか、

私は季節の移ろいを肌で感じられるようになり、

少―しだけ鼻がよくなったように思う。

季節の香りを鼻がききわけている。

夜のほうがいろんな香りを感じる。

そして、電車に乗る回数と雑踏を歩く回数が減った分、

世界の流れについていけなくなったように思う。


今年の春は青い服ばかり買っている。

いっときは緑のものばかり買っていた時期もあったし、

ピンク狂いのときもあった。

いまはブルーな気分。


五月晴れの空色のスカート。

満天の星空のようなドット柄のコットンワンピース。

離島から見た海の一番鮮やかな色のサテンワンピース。

夜の闇のような麻のワンピース。


そして離島から見た海の一番鮮やかな色の

サテンワンピース を着ていったら、

ひとりは8月の真っ青な空色のシャツを、

もうひとりは日が昇ったばかりの夜明けの空の色のシャツを着ていて、

チーム・ブルーだと笑った。


大森のまき村で食事。

先付け3種盛り

平目入りさわ煮

お刺身5点盛り

大皿にとうもろこしの天ぷら、鮎の稚魚塩焼き、姫筍を焼いたもの

揚げ出し風豆腐

鯛茶漬け


先付けがどれもイマイチのような気がしたが、

大皿が出てきて、目を見張った。

大きな土色の皿に、

とうもろこしの天ぷらと鮎と姫筍が 豪快に、

でも美しく盛り付けられており、

勢いがあってでも上品で、

感動を誘うひと皿だった。

そのあとに出てきた揚げ出し豆腐も、

中の豆腐がまるでクリームのように柔らかで

豆腐だと思えないようなものだった。

久しぶりにおいしいものを食べたような気がする。


1年に何度しかない素晴らしく気持ちのいい午後を

どこで過ごすべきかと、都内中の芝生を厳選する。

芝生に寝転んで、 私は熟睡し、

ひとりはすずめを餌付けし、

ひとりはケータイで調べ物をしていた。

マロニエ通りをあちこち冷やかし、

私はブラジルで作られたという、

バラの花のついた靴を買った。


夕ご飯は豚のしゃぶしゃぶ。

先日お店で食べた豚しゃぶをまねて、

濃い出汁を漬け汁にして食べる。


豚しゃぶ(豚、レタス、豆苗、水菜)

まぐろの頬肉ワイン煮

塩豚薄切りをにんにく味噌と一緒に

デザートは焼きたてアールグレーとローズマリーのクッキー


スラムドッグミリオネア

薮原十区でむつの魚定食。

雨のなか、麻布商店街をつっきって

抹茶ワッフルとカスタードワッフルと杏ジャムワッフルを買った。

それからたい焼きと和三盆ロールを食べる。

大江戸線で六本木に行って、

いくつかの店をひやかしてざあざあぶりの外を眺めながら

ワッフルを食べたら、すごく眠くなってうとうとした。

夜ご飯は、豚肉のゆあん焼き、わさび菜のおひたし、しじみの味噌汁とラーメン。


嵐のあとの澄んだ空気は

大きく吸い込むと体の中がきれいになったようになる。

キャベツとトマトとアスパラとベーコンのスープに

焼いたバケットをひたして食べる。

日比谷で「スラムドックミリオネア」を観た。

それはもう爽快で文句なしに面白かった。

エンドロールとか勧善懲悪な感じとかけっこう

インド映画らしく作ってあって、わーと思う。

音楽とカメラワークが最高で、

脚本や構成も素晴らしかった。

インドにおける子どもの問題とか、割とリアルな話もあるのだけど、

それはそれでさらっとしているというか、

まあ完全なエンターテインメントなのだし、

全然気にならなった。

私はムンバイには行かなかったけれど、

でもインドのあのムッとした空気、

牛のうんちと排気ガスが混ざったような臭い、

エネルギーを秘めたひときいれ、

インドの雰囲気がもうあと1ミリってとこまで

私を包み込んで、懐かしくて涙が出た。


コーヒー買って日比谷公園のベンチで噴水を眺め、

ソフトクリームを食べながらふらふら歩く。

そして芝生に入って、寝転んだ。

雲がものすごい速さで流れていく。

いつも大地に背中が触れると不思議な気持ちになる。

イギリスの田舎町も

ブッダガヤのオアシスも

陽朔の川沿いも

牟礼の小さな丘も

波照間の砂浜も

すべて大地でつながっていて

そして私自身と私の中に流れる時間はつながっているのだ、

と思って軽く眩暈がする。

黙っていたのは別に心地いい時間が流れていたからではなく、

心が遠くに飛んでいってしまったからだと思う。


夕方にひらひらと手を振り、魔女の家へ。

せんびきやのアイスとイタリアの形をしたリモンチェロを持っていった。

ひとつひとつを忘れないようにね。

魔女が私にしてくれたこと。

私を常に正しい道へ導いてくれたこと。

魔女と話していて、あなたはなんと大人になったことでしょう、

と魔女に言われて気づいた。

あのころから比べたら、

私はなんと我慢強くなり、優しく強い心を持ちえたことだろう。

それは私が大人になりたいと心から望んでいたからに他ならない。


変化を恐れてはいけないこと。

変化を恐れたら時代から取り残されてしまう。

声に出さないと伝わらないことがたくさんある。

人との関係において忘れてはいけないこと。

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